事務所通信 11月号掲載
新潟県中越地震



16年8月号で7.13水害を書いたばかりです。新潟県を始め、今年の日本列島は災害のオンパレードのような年となりました。


 10月23日
は、午後5時にお客様と仕事の打合せを終え1人事務所にいました。突然襲ってきた強烈な地震に驚き、思わず机の下に潜りました。一旦収まったので、これで終わりかと思っていましたが再び大きな揺れがあり、大変なことになると思い、こんどは、コンピュータ(サーバー)にあるデータの入ったDAT(デジタル・オーディオ・テープ)を持ち出し車のトランクに詰めました。これさえ持ち出しておけば、コンピュータが全滅してもデータを復帰できるからです。こういう時、データをサーバーで管理しておいて良かったと思いました。その後も断続的に余震があり、家族と共に不安な一夜を過ごしましたが、幸い被害はありませんでした。


 私の子供は、「カミナリ」が大嫌いですが、今回初めて大規模の地震を体験し、「地震」の方が怖いといっていました。昔から「地震・雷・火事・親父」と言う怖いものを順番にあげた言葉がありますが、順番に間違いはないものだと感心させられました。


 それから、私の叔父が、山古志村に在住のため安否を確認するため、電話をかけましたが通じません。携帯電話もダメでした。結局連絡が取れたのは、翌24日でした。これだけ携帯が普及しているにも拘わらず、災害時には役に立たないものだということを痛感すると同時に、こういう時にパンクしない携帯電話の体制を確立出来ないものかと思いました。

 
 私の実家は小千谷市の「荷頃」と言う部落にありました。今回小学生が3人死亡した「塩谷」という部落の隣で同じ中学校区です。平12年に母が死亡し、翌年に取り壊したため被害はありませんでしたが、母の入っているお墓、及び荒らしたままの棚田がどうなっているかは現時点では、確認がとれません。

  
 
私の地震はこの程度でしたが、今、避難生活を続けている方々の今後が、心配されます。とりあえず余震が収まって欲しいものです。そして、たくましく生活基盤が復活することを願ってやみません。

            
所長 須田幸英
事務所通信11月号掲載
               
                         
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